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危機的状況?
このブログでは政治のことは書かないでおこうと思っていたのだが、少し心配になってきたので少しだけ書くことにした。
日本はデフレが深刻な問題となっているが、決められた年金で生活している者にとっては、恐ろしいのはデフレではなくインフレである。インフレが進行した高度成長期の老人の生活は思ったよりも苦しいものであった。また、一時期のロシアでインフレが進行し多くの年金生活者が路頭に迷ったのも記憶に新しいところである。
今日の日本にとって、大きな危機はデフレによる経済規模の縮小であるが、それ以上の危機は国...
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2010/02/21 14:54 |
これも差別
現代の人の障害者に対する見方を考えるうえで面白いニュースがここにあった。
大阪府が主催した現代アートの作品を障害者から公募する展覧会で最優秀賞を獲得した作品が有名なアニメーションに登場するキャラクターと似ていたという理由で取り消されたというニュースである。
山下清以来、知的障害者の中に、芸術的センスに優れたものを持っているものがいることが知られている。現代では海外でアウトサイダーアートが注目されていることともあいまって一種のブームとなっている。
しかしながら、一般的なアウトサイダーアートと...
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2010/02/20 17:51 |
「障がい」表記になぜ反対か?その5
そもそも、障害者という言葉は障害を持った人という意味で、「穢多」や「非人」などその言葉自体に差別的な意味がある言葉とは一線を画するベきだと思う。
すなわち、穢多には汚れが多い、非人には人にあらずというように、これらの言葉は、その単語自体に差別的な意味があり、その単語がその人間自身を表している言葉である。それに対して、障害者は障害を持ったものという意味であり、障害自体に否定的な意味はあるにせよそれ自体が否定的な意味を持つ単語ではないと考えるのが妥当だろう。
例えば、「病気」という言葉には否定的...
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2010/02/16 17:02 |
「障がい」表記になぜ反対か?その4
そもそも、「障害」という言葉自体が差別的な意味合いを含む言葉の代わりに使おうという気運によって広まったものであったはずである。例えば、「かたわ」、「おし」、「つんぼ」などの言葉は、障害という言葉が広まるとともに死語といえる存在になってしまった。そもそも、これら「和語」の語源は明確になっているわけではなく、以前差別的に使われてきたからという理由で「障害」という言葉に言い換えられたといって差し支えないだろう。
教育の世界でも、かって使われていた「特殊教育」という言葉が「障害児教育」という言葉に言い...
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2010/02/13 21:06 |
「障がい」表記になぜ反対か?その3
また、最近、「チャレンジド」という言葉も障害者を表す言葉として使われることもある。
つい先日も我が国の総理が、「チャレンジド」に呼び方を変えるのが望ましいという旨の発言をしたという報道があった。
しかしながら、この言葉、英語圏で広く使われているわけではない。そもそも、この言葉は日本には「プロップステーション」の竹中ナミさんが持ち込んだ言葉である。そこのHPに掲載されている説明文によると、challenged(チャレンジド)というのは「障害を持つ人」を表す新しい米語「the challenge...
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2010/01/16 16:27 |
「障がい」表記になぜ反対か その2
そもそも「障害」という漢字は明治時代に作られた言葉で「障碍」の当て字でもある。「碍」の字があまり一般的でもなく、戦後、当用漢字表から漏れたので、「害」の字を当てたという次第。このあたりの事情は、こちらとこちらのブログに詳しいので、是非、読んでいただきたい。これを読んでいただければ分かるが、「障害」は非人道的だが、「障碍」は正式な名称だからこちらを使うべきだという意見は多く、一般的になりつつある。
しかし、「碍」も「害」も「蓋」に通じる字であり、「おおう」「へだてる」という意味から派生した字であ...
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2009/12/23 18:11 |
「障がい」表記になぜ反対か
なぜ、日本人は日本語にこんなに無頓着なのだろう?
自分の者を大事にできない人は人のものを大事にできない。
当然、私は日本人だから、日本的なものは好きである。
特に、・・・饅頭、団子、桜餅、豆大福、それからね・・・うどん、蕎麦、・・・城、神社、・・・盆踊り、獅子舞、等々あげればきりがない。
だから、日本語も大好き。新しい四字熟語を作るなんてほんとに楽しい。このブログ関連で作れば、「障害ド苦心」なんちゃって!四字熟語になってないやん・・・お粗末。
こんな私が気になって気になって仕方がないの...
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2009/12/22 10:29 |
恥ずかしくないのか?
「後期高齢者医療制度」の評判が悪い。
だが、冷静に考えると次のような意見が正論だろう。
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2008/05/21 15:20 |
自分のこと2
子供心にショックだったのは、一緒に訓練していた子供がどんどん死んでいったこと。もうすぐ、私も死ぬんだなーーーと思っていた。生きている間に良い事しとこーーーと考えていたのだけは覚えている。
そうこうしてるうちに小学校に入る歳になりちょうどその年に出来た養護学校に入った。当時は障害児を持った親は就学免除するのが一般的だったが、私の親は全くそういう気持ちはなく、同じ歳の子を持った親を訪ね歩いて学校へ行くことを勧めるぐらいだった。
入ってみると、周りはポリオの人ばかりで私の障害はずば抜けて重度だった...
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2008/02/29 12:00 |
自分のこと1
なぜ、こんな事ばかり書いているのか、拘っているのか分からないと思うので、しばらく、私のことについて書いてみたいと思う。
私が産まれたのは戦争が終わって十年余りたった頃、予定日からは2ヶ月近く早い早産だった。当時、医療設備の進んでいた病院で出産し、まだ珍しかった保育器のおかげで生き延びることが出来た。地方の小都市では、まさに「奇跡」に近かった。そのわりに、すくすくと大きくなったようだが、首が据わらない、医者は発達が遅れているだけでしょう、と言って取り合ってくれなかったが、母親は大変なことが起きて...
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2008/02/27 10:52 |
障害者の不幸
障害者が他のマイノリティー(少数派)に比べて不幸なのは、その親は障害者ではないということだろう。障害者の親は、障害を持った子供を産むまでは、障害者の存在などとは無縁に生きている場合が多い。ところが、障害児を産んだとたんに否応なく障害者の世界にたたき込まれる。これは親にとって、不幸なことであるが、実はそれ以上に障害者にとって不幸なことである。障害者は産まれてすぐの時点から「障害者でなければ良かったのに」という視線を浴び続けて大きくなる。親から愛される一番の道は障害者でなくなることだ。小さいときに障...
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2008/02/25 21:59 |
大半の障害者は
障害をなくそう、あるいは軽減しようという努力をする人は、そのことによってその眼前の障害を持った人の存在を否定している。その当たり前のことにあまりに無自覚な人が多い。
生まれたときから障害を持っていたりすると、親をはじめとして周りの人すべてが自分の存在を否定する中で育ってくる。このことが人生に与える影響は計り知れない。
障害者と話していると、二言目には「迷惑になるから」と言う。私のように生きていく便法として使うのは良い。しかし、そういうことばかりではなさそうだ。
地域でヘルパーを使って一人暮...
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2008/02/04 14:20 |
根本的な当たり前のこと2
障害者を障害者でなくする努力はありとあらゆるところでなされている。そして、そのことに莫大な労力と費用がかけられている。「訓練」や「教育」という名の下に尊い労力として語られることが多い。
そして、ニュースになるほど希有な例として、一般社会に入り込み、障害者でなくなる人がいたりする。それはそれで美談であろうが、その裏で恐るべき数の人間が挫折している。その悲劇を誰も止めようとしない。
そういえば、「社会復帰」あるいは「リハビリテーション」という言葉がこういう努力を指して使われることがある。実におか...
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2008/02/01 15:06 |
根本的な当たり前のこと
当たり前のことだが、障害者が不便な生活を強いられているのは、「障害を持たない人」がいるからである。
階段を見ていると、「ああ、世の中にはこれを使って上っている人がいるんだなーー」と不思議な気分になるときがある。私にとって、そういう人の存在は想像しているだけであって、心的な距離は遠い。だが、実際には私の周りはそういう人だらけ、というか、そういう人しかいないのだ。一種の強い疎外感があるが、そんなことを言っても「あたりまえやん」と一蹴される。そのことにまだ正直なれていない。善悪の問題などではなく、階...
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2008/01/30 17:49 |
うさんくさいぞ!共生
「共生」という言葉が俄に流行ってきた。
元々は生物学用語、そこから派生した宗教用語に過ぎなかったはずの言葉が、各種運動のスローガンやチラシに踊っている。「どんな人でも共に生きられる社会」を目指している人がいるらしいが、そんなのうさんくさい。と思っている人は多いはずだ。この拙いブログでは障害者と呼ばれて(障がい者とかく人がいるが、こんな不正確で汚い言葉を使うのはやめよう)生きてきた私の経験をベースに、こんなインチキに振り回されない社会の在り方を考えて行ければと思う。
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2008/01/30 16:22 |